街頭募金って意味あんの?バイトしたほうがよくない?
今朝も地元の駅まで、学生たちが何人か集まってワイワイと街頭募金をやっておりました。「カンボジアに図書館を立てよう!」てきなものだったので、またかよと思って素通りしてしまいました。で、いっつも思うんですが、あれってめちゃくちゃ効率悪そうじゃないですか?よっぽどバイトして稼いだお金を寄付する方がお金溜まりそう。
街頭募金って すごいこーりつわるそーよねー
— 暗黒電波美術家ボブ山9/9~名古屋港展示 (@kusaman) 2015, 8月 27
街頭募金とかも「お願いしま~す❗」の時間があるならみんなでマグロ船乗るなり誘導員するなりバイトしろよって思っちゃう。
— 犬彦 (@jeffy2unity9) 2015, 8月 26
Twitterで「街頭募金」でちょっと検索しただけでも似たような意見が散見されました。そりゃそうですよね。5人で8時間バイトしたらそれだけで4万円もお金入るわけで、街頭募金でそんな額が入っているとは思えません。
【集計報告】 本日も四条河原町で街頭募金を行い、 45人の方に協力していただき、 11129円集まりました! そして、本日で15夏GVの建築資材費を集めるための街頭募金は最後となりました。 たくさんのご協力ありがとうございました。 pic.twitter.com/SbzpwmI33Z
— Kyoto Gaidai Habitat (@KyotoGaidaiHabi) 2015, 8月 30
まあ団体や場所によるでしょうが、真夏のくそ熱い中で大声張り上げてやっててもこれくらいしか入ってないっぽいです。本気で「お金を寄付するだけ」がゴールであれば確実にバイトしたほうがいい。学生が「なんかいいことしようぜ!」「そーだ、途上国へ募金だ!」みたいなノリでやっているのが想像できます。
本当に無価値なのか?
じゃあすべての街頭募金が意味ないのか、っていったらそれも違うと思います。だって広告としての役割も果たしているから。「〇〇へ募金をお願いしま~す!」っていう声かけって、何やってるんだろ~ってちょっとは見ちゃいますよね。そうやって市民に社会問題があるんだって訴えかけること自体で彼らに認識させることには意味があるし、もしも見てくれた人たちから反応してくれる人がいて、その人が継続的な支援に乗り出してくれたら立派なスポンサー獲得に繋がっているわけだから、そこまでできていたら意味はある。ブログで有名なイケハヤさんも同様のことを述べている記事があったので貼っておきますね。
中途半端がいらないだけだ
それでも僕は多くの街頭募金には意味がないと思っています。それは、中途半端だから。先の、市民に認知されるには一過性ではなくて継続的に行動を起こし続ける必要があるし、募金がどのように使われているかが不透明である場合は、せっかく支援してくれた人たちが継続的にサポートしてくれる可能性は低いと思います。一回見ただけの募金が何についてだったかなんてすぐ忘れちゃうでしょ?だから、一時の感情で途上国に寄付しよ~みたいのはいらないと思う。
逆に、渋谷とかでよくやっている「セラピードッグ」の活動についての支援とかは継続性もあるし団体もきちんとしているから自身も寄付したこともあります。どうやって使われているかも割と明確ですしね。
やるならクラウドファンディングじゃない?
で、きちんとした団体も持たない学生とかがどうしてもそういった行動を起こしたかったらクラウドファンディングとかのが賢いですよね。支援後どのようになったかを簡単に支援者に報告できますし、そもそも問題についての理解が街頭募金より深くなった状態で支援者が意思決定できます。MakuakeとかReady forを利用するのがいいでしょうか。
なんにせよ、支援する側のことを考えたらその後の使い道や結果報告まできちんとできる手法を取るべきだな、とおもいます。
ショウゴ